東京高等裁判所 平成9年(う)1512号 判決
被告人 北村尚
〔抄 録〕
一 所論は、要するに、「警察官は、被告人を警察官職務執行法三条一項一号に規定する精神錯乱者として保護したが、被告人は当時傾眠状態にあったにすぎず、右保護手続は同条項の要件を具備しない違法なものである。本件覚せい剤は、この違法な保護手続に基づき被告人の身柄が病院から警察署へ移された際に、警察官が被告人の所持品を検査したことにより発見されたのであるから、本件覚せい剤及びその鑑定書は、違法な保護手続を利用して収集されたものとして、その証拠能力は否定されるべきである。」というのである。
記録によると、本件保護手続がとられた経緯については、原判決が「弁護人の主張に対する判断」の項において説示するとおりと認められる。即ち、被告人は、市営地下鉄横浜駅に停車中の電車内から横浜市立大学医学部附属浦舟病院救命救急センターまで救急隊により搬送されて診察を受けたが、睡眠薬により眠っている状態にあり、入院の必要はないと診断され、医師から被告人の身柄の引取りを要請された警察官は同人を警察官職務執行法三条一項一号の「精神錯乱者」として右救急センターから戸部警察署内の保護室へその身柄を移して保護したことが認められる。
ところで、右条項に規定する「精神錯乱者」とは、精神病学上の精神病者だけに限定されるものではなく、社会通念上精神が正常でない状態にある者と解するのが相当であるところ、「照会について(回答)と題する書面」(甲一五)には、右診察時の所見として「極軽度意識障害あり」と記載されていること、さらに医師が警察官らに対して行った説明内容及び診察時の被告人の状態等を総合すると、当時被告人は睡眠薬の影響により右条項にいう「精神錯乱」の状態にあったと認める余地もある上、仮に、これを否定するとしても、睡眠薬の影響により容易に覚醒しない状態は同法一条一項二号の「迷子、病人、負傷者等で……応急の救護を要すると認められる者」には少なくとも該当し、当時の状況下では同条項に規定するその余の要件にも欠けるところはないと認められるから、警察官が被告人が眠りから覚めるまで一時的に前記保護室にその身柄を留め置いたことは、警察官職務執行法三条一項一号ないし二号に基づく保護として適法な措置というべきである。したがって、違法な保護手続を利用して本件覚せい剤等を収集したとする所論は前提を欠くことに帰し、採用できない。
二 次に、所論は、「警察官は、前記救急センターの看護婦から被告人の所持品の引継ぎを受けた際に、その中にあった煙草の箱の蓋を開けて本件覚せい剤を発見しこれを収集しているが、右所持品検査については、その目的は被告人の身元確認のためでなかったことは明らかであるうえ、同人の承諾も得ておらず、検査の必要性及び緊急性が認められないから、違法である。したがって、これに引き続く捜索差押令状の発付及び本件覚せい剤等の差押えも違法であり、本件覚せい剤及びその鑑定書は違法収集証拠としてその証拠能力は否定されるべきである。」というのである。
しかしながら、一般に保護手続をとるに当たり、その保護の必要に応じて被保護者の所持品中に危険物が存在するか否かを検査することは自傷及び他害の防止という行政警察の観点から許容されるべきであり、また、危険物が発見された場合には、保護手続が終了するまでの間これを保管することも、同様の観点から保護に伴う措置として許されるものというべきである。本件では、容易に覚醒しないほどの量の睡眠薬を被告人が服用していたことがうかがわれたほか、既にそのセカンドバッグの中から睡眠薬の錠剤一個とその殻四個及び注射器四本が救急隊員らにより発見されていたのであり、このような状況からは、被告人が睡眠薬あるいは規制薬物等をさらに所持している可能性も否定できず、仮に、その存在を看過して保護室内において被告人に携帯させた場合には同人が眠りから覚めた後にこれら薬物を摂取するおそれも多分に想定されたのであるから、前記救急センターからの所持品の引継ぎの際に、警察官が危険物の存否という観点から煙草の箱の内容物も含めて所持品の検査を行ったことは行政警察上むしろ適切な措置であり、その結果発見された覚せい剤と思料される物品を危害防止の必要から一時保管したことも保護手続に伴う措置として適法というべきである。そして、後に、捜索差押令状の発付を得て本件覚せい剤等を差し押さえたことについても違法な点はないというべきである。
(米澤敏雄 佐藤公美 多和田隆史)